広島地方裁判所 昭和48年(行ウ)12号 判決 1976年7月27日
原告
石田明
右訴訟代理人弁護士
阿左美信義
外一〇名
被告
厚生大臣
田中正己
右指定代理人
筧康生
外五名
主文
被告が、昭和四八年三月二二日付でなした、原告の「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」八条一項に基づく認定申請を却下した処分はこれを取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
一、双方の申立
原告は、主文同旨の判決を求め、被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。
二、原告の請求原因
(一) 原告は、昭和二〇年八月六日広島駅から己斐行き電車にて宮島へ向かう途中、広島市内の八丁堀停留所(爆心地より約七五〇メートルの地点)において原子爆弾により被爆し、顔・額に切傷を受け、即死して倒れた多数の被爆者の下敷きとなつて意識を失ない、意識回復後も嘔吐が激しく、全身の脱力感と歩行困難をきたし、また嘔吐の連続により全身の衰弱著しく、同月一五日頃まで昏睡状態が続き、その頃からさらに全身に班点が現われ、血液の混じつた下痢が激しく、口内出血、脱毛、鼻出血があり、九月に入つてからも再び約一ケ月間意識喪失の状態が続いていた。その後原告は、数年間時々三九度ないし四〇度の高熱に襲われ、下痢は現在に至るまでつづき、昭和三五年には膵臓炎のため三ケ月間の、昭和四四年には肝硬変、十二指腸潰瘍のため一ケ月間の、それぞれ入院治療を受け、いまだに通院治療を余儀なくされている。
原告は、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(昭和三二年法律四一号。以下、単に原爆医療法という)二条一号(原子爆弾が投下された際当時の広島市……の区域内又は政令で定めるこれらに隣接する区域内にあつた者)に該当する者として、広島県知事から認定を受けて、被爆者健康手帳を交付されている。
(二) 原告は、原子爆弾による被爆後次第に視力が低下し、昭和四五年頃からはその傾向が著しく、常に霞がかかつたような症状(眼精疲労的症状)をきたすようになり、昭和四七年一一月九日に行なわれた広島市大手町所在杉本病院(杉本茂憲医師)の診断では、「左右眼視力とも〇、三(矯正視力右眼〇、五、左眼0.6)、両眼の水晶体後極部後嚢下及びその皮質に接して円盤型に配列した点状ないし凝塊岩様混濁(定性的原爆白内障)が認められる。なお、水晶体周辺部、すなわち赤道の所々に冠状の混濁(老人性白内障)が発現している。原告には、原爆放射能の影響と思われる加齢現象性の老人性白内障を伴なう定型的原爆白内障があるため、将来次第に視力が低下する。」とされ、現に同病院において通院治療(注射、点眼薬、内服薬投与など)を継続中である。
(三) そこで原告は、昭和四七年一一月二五日被告に対し原爆医療法八条一項により前記原告の疾病(原爆放射能の影響による加齢現象性の老人性白内障を伴なう定型的原爆白内障)が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の認定申請をしたところ、被告は、原子爆弾被爆者医療審議会の「本件申請にかかる疾病は認定し難い。」との意見に基づき、昭和四八年三月二二日付で、「現在の医療は原爆白内障に対して効力はないものと思われる。したがつて手術を要する時点で再提出されたい。」との理由で却下する旨の処分(以下、本件却下処分という)をし、右却下処分の通知は、広島県衛生部公衆衛生課を通じて同年四月八日原告に送達された。
なお原告は、同一の疾病につき昭和四七年八月に被告に対し原爆医療法八条に基づき認定申請をしたところ、被告は、原告の右申請に対し同年一〇月一二日付をもつて、「被爆状況、臨床検査所見などから、放射能に起因した水晶体の混濁はあると考えられるが、医療を要する時点で再提出されたい。」との理由で却下したため、本件却下処分にかかる申請は、医療(点眼、注射、内服薬投与など)を施行中であることを明確にしたうえ行なつたものである。
(四) ところで、被告のなした本件却下処分には、次のとおり原爆医療法の立法趣旨及び同法七条一項、八条一項の解釈を誤つた違法があるから取消を免かれない。
(1) 広島、長崎に対する原子爆弾の投下は、アメリカが行なつたものであるが、これは、無防守都市に対する無差別爆撃であり、また原子爆弾は爆風と熱線と放射能の総合力による大規模かつ強力な破壊力のゆえに数十万の非戦闘員である市民の生命を一瞬にして奪い、しかも生き残つた者に対しても放射線の影響により不治の後遺障害を残して肉体的、精神的、経済的、社会的に計り知れない甚大な苦痛を強いている惨虐な大量殺戮兵器である点において、明白な国際法違反である。したがつて原子爆弾の投下による第一次的責任はアメリカにあるとしても、無暴な侵略戦争を引き起こし、国民に対して原爆による災害を含む言語に絶する戦争の惨禍を蒙らせた窮極的な責任は日本国政府にあるというべきである。しかして日本国政府は、昭和二七年四月二八日に発効したサンフランシスコ平和条約により戦争被災者のアメリカに対する損害賠償請求権を放棄してしまつたのであるから、国としては戦争被災者に対し十分な救済策を講ずべきであつて、殊に原子爆弾被爆者の場合、その受けた放射能が人体に対し如何なる影響を与え、如何なる疾病の原因となるかについては未知、未解明の部分が多く、放射能による原爆後障害症の範囲及びその適正な医療については今後の研究に待つべきものが少なくなく、完全な医療を施し得ないのが実態であり、またこのような放射能障害の特徴から被爆者は病気と貧困の悪循環のもとにますます健康を破壊され、経済的に貧困化しているのが現状であるから、原子爆弾被爆者に対しては、国は国家補償の精神に立脚して、その健康管理と生活上の援護のため特段の措置を講ずべきである。
原爆医療法の立法趣旨も、このような国家の責任を誠実に果たすことを基本とし、かつ被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態と社会生活上の特殊事情にかんがみ被爆者に対し国がその健康の保持と向上にいささかでも役立つと医学上思料されるあらゆる医療を給付することに存すると解すべきであり、したがつて同法の解釈運用も国家補償責任の法理に沿い、かつ放射能障害の特徴を考慮し、「疑わしきは被爆者の利益に」という原則によつてされるべきである。これを原爆医療法七条一項の医療給付についていえば、被爆者に現われる負傷又は疾病と原子爆弾の傷害作用との因果関係が明確に否定される場合でない限り、原子爆弾の傷害作用に起因するものとして扱うべきであり、また負傷、疾病に対し臨床的に治療効果が多少とも肯定され、全面的に否定されていない治療方法が存する場合には、現に医療を要する状態にあるものとすべきである。
(2) しかして原告の両眼には、原爆白内障(原爆放射能に原因する水晶体混濁)及び原爆放射能の影響によると思われる加齢現象性の老人性白内障が存し、しかも原告は、これらの疾病につき現在治療を継続しているのであるから、原告の疾病は原爆医療法七条一項の医療給付の対象となる疾病であり、したがつて被告がなした本件却下処分は同法七条一項、八条一項に違反し、違法である。
三、請求原因に対する被告の答弁
(一) 請求原因(一)の事実のうち、原告が昭和二〇年八月六日広島市内において被爆したこと、原告が原爆医療法二条一号に該当する者として広島知事から認定を受けて被爆者健康手帳を交付されていることは認めるが、その余は争う。
(二) 同(二)の事実のうち、杉本病院(杉本茂憲医師)が原告主張の診断をしたことは認めるが、その余は争う。
(三) 同(三)の事実のうち、原告が昭和四七年一一月二五日被告に対し原爆医療法八条一項により両眼原爆白内障の認定申請をしたこと、被告が原告主張の経過、理由により本件却下処分をしたこと、その処分の通知が広島県衛生部公衆衛生課を通じて原告に送達されたこと、原告が昭和四七年八月被告に対し原爆医療法に基づく認定申請をし、これに対し被告が原告主張の日にその主張する理由により却下したことは認めるが、その余は争う。
(四) 同(四)のうち。原告の両眼に原爆白内障(原爆放射能に原因する水晶体混濁)及び老人性白内障が存在することは認めるが、その余は争う。
なお原爆医療法は、その制定経過及び同法が被爆者の健康上の特別の状態にかんがみて健康診断及び医療給付を与えることをその目的、内容とすること等からみて会費負担による経済保障の制度を定めたものであつて、社会保障法に属するものであるから、国家補償原理に基づき同法を解釈、運用すべきであるとの原告の主張は失当である。
四、被告の主張
原爆医療法八条一項の認定処分は、原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し又は疾病にかかり、当該負傷又は疾病につき現に医療を要する状態にある被爆者(原子爆弾の放射能以外の傷害作用に起因して負傷し、又は疾病にかかつた被爆者にあつてはその者の治癒能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため当該負傷又は疾病につき現に医療を要する状態にある者)に対し、被告が同法七条一項の規定により医療の給付を行なうにあたり、その者の負傷又は疾病が前記要件に該当するか否かを確定する確認行為である。
ところで、原爆医療法八条一項にいう認定処分は、国民がその処分を受けることによつて自己の権利、利益の拡張を求めるものであるから、認定の要件を具備していることの立証責任は認定申請者が負うべきであり、またその要件の存否は、医学上の判断であるから、認定申請に対する処分当時の医学上の通説的立場により決すべきものである。原爆後障害症の範囲及び適正な医療については、現在でもまだ多くの未知ないし不十分な点があるが、だからといつて、そのことを強調する余り、現在の医学上の通説からして負傷又は疾病と原子爆弾の傷害作用との因果関係の存否に疑いのある場合や、治療効果が肯定されない場合でも認定すべきものと解することは正当でない。
しかして、現在の医学通念によれば、次のとおり原告の両眼に存する原爆白内障は現に医療を要する状態にあるとはいえず、また原告の両眼に存する老人性白内障は原子爆弾の傷害作用に起因するとはいえないから、原告の原爆医療法八条一項に基づく認定申請を却下した本件却下処分は適法である。
(一) 原爆白内障について
原爆白内障は、被爆後数年以内(おおむね数ケ月から八年程度)に発生し、その後数年間で原爆白内障特有の水晶体混濁を形成するに至り、その後はそのままの形で停止するのが普通で、視力障害も通常極めて軽微であるから、原爆白内障に対する医療としては、水晶体混濁の発生直後に混濁の進行を抑制、防止する意味での薬物療法の効果が期待し得るほか、稀な例で視力が低下した場合には、その時点で水晶体の摘出手術をする以外には、現在のところ医療措置については今後の医療技術の進歩に待つほかないのが現在の医学の段階である。
これを原告についていえば、被爆後二五年以上経過した現時点においては、原告の原爆白内障につき薬物療法を期待し得る段階ではないし、また原告の視力は、現在のところ両眼0.3(矯正視力眼0.5、左眼0.6)というのであつて、現在の医療水準からすれば、未だ水晶体の摘出手術を施すほど視力が低下しているとはいえないから、現段階においては原告の原爆白内障につき何ら効果的な医療方法が存在しないというほかない。
したがつて、原告の原爆白内障は、現に医療を要する状態にあるとはいえない。
(二) 老人性白内障について
原告の老人性白内障については、原爆放射能による加齢の促進という現象が認められるか否か明らかでないのみか、それが老人性白内障に対し何らかの影響を及ぼすものか否か未だ医学的に実証されていないのであるから、原告の老人性白内障が原子爆弾の放射能に起因するものと認めることはできない。
五、被告の主張に対する原告の答弁争う。
六、原告の反論
(一) 原爆白内障について
原爆白内障等の原爆症は、原子爆弾による被爆によつて生じたものであるが、原子爆弾等の核爆発の結果生じた放射能の人体に及ぼす影響に関しては、基礎的研究に乏しく明らかでない点が極めて多いのが現状であり、原爆白内障の水晶体混濁が進行したり、反対に萎縮、後退し減少した臨床例もあるのであるから、原爆白内障が停止性のものと断定することはできない。
また、原爆白内障等の原子爆弾後障害症に対する適切な治療については、今後の研究に待つべきものが少なくないのが現状であるところ、原爆白内障に対する薬物治療の効果については、なお将来の研究を期するとしても、これを肯定的に解する医師の見解もあるのであるから、原告の原爆白内障に対しては薬物治療を施し、更に研究を継続してより適切な治療方法の発見に努めることこそ、被告のなす医療行政の真の在り方である。
被告は、昭和三三年八月一三日付衛発七二七号厚生省公衆衛生局長通知「原子爆弾被爆者健康診断実施要領」によつて、放射能性白内障の治療は、おおむね一般の白内障の治療に準じて行なう旨、また被爆者の疾病にはすみやかに適切な治療を行なう旨指示しているのであるから、原告に原爆白内障が存する以上、これに対する適切な治療が施されるべきである。
(二) 老人性白内障について
前記のとおり、被爆者の特定の疾病と原子爆弾放射能との関係は、まだ医学的に解明されていない点が多いが、被爆者の加齢現象は一般的に肯認されているところであり、統計的にみても近距離被爆者については、非被爆者に比し老人性白内障が年齢的に早期に出現しているのが実態であり、加齢促進作用による老人性白内障の早期発見を肯定する臨床例も存するから、かりに被爆者の老人性白内障につき現在の医学水準からして放射能との関係が積極的に解明されていないとしても、放射能との関係が明白に否定されない限り、蓋然的にもその存在の可能性がある以上、これを認定し医療の給付をなすことが原爆医療法の精神に沿うものである。
七、証拠関係<省略>
理由
第一原告の被爆から本件却下処分に至るまでの経過
一まず、原告が、昭和二〇年八月六日広島市内において被爆し、原爆医療法二条一号に該当する者として広島県知事から認定を受け、被爆者健康手帳を交付されていること、原告が、昭和四七年一一月二五日被告に対し原爆医療法八条一項により両眼原爆白内障の認定の申請をしたこと、及びこれに対し被告が、原子爆弾被爆者医療審議会の「本件申請にかかる疾病は認定し難い」との意見に基づき、昭和四八年三月二二日付で、「現在の医療は、原爆白内障に対して効力はないものと思われる。したがつて、手術を要する時点で再提出されたい。」との理由で却下する旨の本件却下処分をしたことは当事者間に争いがない。
二次に、原告の被爆時の状況、被爆時から現在に至る間の症状、本件却下処分がされるまでの経過について考察するのに、<証拠>によると、次の事実が認められる。
(一) (原告の被爆時の状況とその後の一般的身体状況)
(1) 原告は、昭和三年五月三〇日生まれで、昭和二〇年当時陸軍少年航空兵として少年航空隊に入隊していたが、同年七月三〇日休暇を得て郷里である広島県安佐郡狩小川村(現在の広島市高陽町)狩留家の実家に帰り、滞在した後、同年八月六日実兄とともに武運長久の祈願に宮島の厳島神社に赴くため、同日午前七時三〇分頃広島駅に着き同駅から広島市己斐行きの満員電車に乗り宮島へ向かう途中、広島市八丁堀の福屋停留所付近(爆心地より約七五〇メートルの地点)で原子爆弾により被爆するに至つた。
(2) 原告は、被爆の瞬間失神し、一時意識を失ない、まもなく意識が回復した後は、同時に被爆した実兄とともに現在の広島市光町方面へ逃げのび、更に実家に帰るため戸坂方面へ向かつたが、国鉄芸備線戸坂駅裏で再度意識を失ない、通りかかつた人に救助されて、六日の夜は同駅付近の民家に収容され、翌日実兄に実家へと連れて帰つてもらつた。
なお、原告は、被爆時には電車の中央部付近にいて、多数の即死した乗客の下敷きになつたことから、外傷はさほど受けずにすみ、頭部に数ケ所のガラス傷を負つたにとどまつた。
(3) 原告は、実家に帰つて後、嘔吐が続き、立上がることもできず、同月一五日頃には頭髪が抜けはじめ、同月二〇日頃には丸坊主となつたうえ、眉毛も抜けてしまい、同月二五、六日頃からは身体に紫色の斑点が出現したほか、歯ぐきからの出血、鼻血、血便が出はじめ、同時に被爆した実兄が死亡した同年九月初め頃から約四ケ月ないし五ケ月間意識を失ない、意識が回復した後は、洗腸等の治療をしたこともあつて血便は止まつたが、なお立上ることはできず、ようやく翌年二月頃になつて立上がれるようになつた。
(4) その後、原告は、昭和二一年七月頃から教職に就いたが、昭和二六年頃までは一ケ月に二、三度は三九度から四〇度を超える高熱が出て勤務先の学校を休まざるを得ない状態であつたし、昭和三四年頃には膵臓炎のため約三ケ月間入院し、昭和四三年頃から慢性肝炎、不眠症となるほか、十二指腸潰瘍を患つており、日常的には毎朝下痢が続き、また風邪をひきやすく、全身に倦怠感があり、現在でもしばしば欠勤せざるを得ない状態にある。
(二) (原告の眼疾病と本件却下処分に至る経過)
(1) 原告は、少年航空隊に入隊した当時は眼に異常はなく、視力は両眼とも裸眼で1.0以上あり、被爆後は幾分視力が低下したものの、昭和三八年から昭和四二年までの間の裸眼視力は左右とも0.8、昭和四三、四四年の裸眼視力は左右とも0.7で、さしたる支障は感じなかつたが、昭和四四、五年頃から新聞、電話帳などの細かい文字の判読に困難を来たすようになり、常に眼に霞がかかつたような感じを抱くほか、頭痛や眼球が締めつけられるような自覚症状があり、視力の衰えを覚えるに至つた。
(2) そのため、原告は、昭和四五年八月広島市大手町の土谷眼科医院(土谷厳郎医師)で診察を受けたところ、原爆白内障と診断され、昭和四六年四月頃まで同医院でカタリン点眼などの治療を受けた。その間原告は、昭和四六年二月一五日広島市都町の福島病院で視力等の検査を受けたところ、裸眼視力が左右とも0.5(矯正視力左右とも0.7)と低下し、同病院でも土谷眼科医院と同じく原爆白内障と診断されたため、原告は、同年八年二三日被告に対し、福島病院浦山正医師の、「原告の右眼の水晶体後極部ほぼ中央、皮質のすぐ前方に円形、小球状の限極性混濁が四個あり、左眼の水晶体後極部中央、皮質に接してほぼ円形の小塊状混濁がある。」旨の診断書及び同医師の、「原告の両眼の水晶体混濁は後極部のみに限局し、古い堅い陳旧性のものであり、部位は後皮質に接し、形は点状、小塊状を呈し、その形態的特徴は認定基準の(2)番に該当する。」旨の意見書を添えて、原爆医療法八条に基づく認定申請をしたが、同年一二月二八日付で、「現症所見などより現に医療を要する状態とは考えられないので、医療の給付を受ける時点で再提出されたい。」との理由で却下された。
(3) ついで、原告は、昭和四六年一二月頃から杉本病院(杉本茂憲医師)で診断を受けるようになつたが、同病院でも同年一二月二一日両眼白内障(原爆性、初発老人性)であるとされたほか眼精疲労症等が存する旨診断され、視力も検査の結果によると左右とも裸眼で0.3(矯正視力右0.5、左0.6)と更に低下していた。そのため原告は、昭和四七年八月三一日被告に対し健康診断書及び杉本茂憲医師の意見書、すなわち「原告の両眼の水晶体後極部の後嚢下及びその皮質に接して円盤型に配列した点状ないし凝塊岩様混濁(定型的原爆白内障)を認める。なお、水晶体周辺部すなわち赤道部の所々において冠状の混濁(老人性白内障)が発現してきた。原告の眼疾病は、定型的原爆白内障にして、しかも赤道部に起こつた混濁、すなわち老人性白内障は加齢現象によるものである。」旨の現症所見及び意見を記載した昭和四七年八月一三日付意見書を添えたうえ、再度原爆医療法八条に基づく認定申請をしたが、同年一〇月一二日付で、「被爆状況、臨床検査所見などから放射能に起因した水晶体の混濁はあると考えられるが、医療を要する時点で再提出されたい。」との理由により再び却下された(なお昭和四七年八月原告が認定申請したこと及び被告が同年一〇月一二日付で右理由により原告の申請を却下したことは当事者間に争いがない。)。
(4) そこで、原告は、現に医療を施行中であることを明らかにして認定申請をするべく、右杉本医師の協力の下に昭和四七年一一月二五日付で被告に対し、健康診断書のほかに、「原告の両眼は、左右とも視力0.3(矯正視力眼0.5左眼0.6)、両眼の水晶体後極部後嚢下及びその皮質に接して円盤型に配列した点状ないし凝魂岩様混濁(定型的原爆白内障)が認められる。なお、水晶体周辺部、すなわち赤道の所々に冠状の混濁(老人性白内障)が発現している。原告には、原爆放射能の影響と思われる加齢現象性の老人白内障を伴なう定型的原爆白内障があるため、将来次第に視力が低下する。」旨の杉本病院(杉本茂憲医師)の診断(この診断内容は当事者間に争いがない。)及び目下治療中であることを記載した昭和四七年一一月九日付意見書、治療として処置、注射、点眼及び内服薬投与を施行中であることを示した書面を添付して、三度び認定を申請したが、被告は、昭和四八年三月二二日付で前記記載の理由の下に本件却下処分をした。
(5) 原告は、杉本病院では、カタリン、タチオンの点眼、グルタチオンの注射、チオラ、ビタミン剤の投与などの薬物治療を受けており、現在もこれらの治療を継続中である。
しかして、以上の認定に反する証拠はない。
第二原爆医療法について
一原子爆弾の投下と原爆医療法
原爆医療法は、戦争被災者のうちでも原子爆弾による被爆者のみをとり上げ、これを対象とした特別法であるから、同法八条一項に基づいてされた本件却下処分の適否を判断するに当つては、原子爆弾の性能、それによる被害、立法の経過についても考慮する必要がある。
(一) 原子爆弾の性能
<証拠>によると、次の事実が認められる。
原子爆弾は、原子核、主として重い原子核に中性子が衝突した際、原子核が分裂して大量のエネルギーを放出する作用を利用したものであり、広島に投下された原子爆弾は、外形が直形一七〇センチメートル、長さ三メートル、重さ四トン、爆発高度五七〇メートルで、爆弾中にはウラニウム235が約二〇ないし三〇キログラム包含されており、アメリカのオークリツジ国立研究所が一、九六五年に発表した調査結果によれば、うち約三分の二キログラムのウラニウム235が実際に分裂し、TNT火薬一二、五〇〇トンに相当するエネルギーを発したとされている。そして、そのエネルギーのうち約五〇パーセントが爆風に、約三五パーセントが熟線に使われ、約一五パーセントが放射線に割当てられたといわれているのであるが、何分にも総エネルギーが桁外れに膨大であつたため、爆風も想象を絶する程のもので、爆心地から約二キロメートルまでの木造家屋を殆んど全壊させ、二ないし三キロメートルの地点にあつた木造家屋を全壊ないし半壊させ、約七キロメートルの地点でも窓ガラスを全部破壊した例があり、約六〇キロメートル離れた地点でも爆風を感じさせる程の破壊力であつたし、また熱線量もたとえようもない程膨大で、爆心地より約二キロメートルまでの木造家屋を焼失させ、約3.5キロメートルまでの地点にいた人体に火傷を与え、火傷による死者も大量に発生させた程であつた。
このように原子爆弾の爆発によつて生じた爆風、熱線による破壊は、人体、物体に及んだのであるが、原子爆弾がTNT火薬を用いた通常の爆弾に比し質的に異なるのは、原子爆弾の場合爆発により放射線が放射される点である。原子爆弾においては、爆発と同時に瞬間的に放射線――主としてガンマー線、中性子線など――が放射される(瞬間放射能)ほか、原子核の分裂した破片(核分裂生成物。いわゆる「死の灰」)が地上に落下する際放射線を放射し、また中性子が地上の物質に衝突した際、中性子の作用によりその物質を放射性元素に変えることによつて、当核物質から放射能(誘導放射能。「死の灰」と誘導放射能は一括して残留放射能と呼ばれる。)が発せられたが、これらの放射能は、人体の細胞を破壊し、または損傷して被爆者を死亡させ、あるいはこれに障害を与えた。広島の合でいえば前記アメリカのオークリツジ国立研究所の調査によれば、中性子線が爆心地点で約一四、八〇〇ラド、爆心地から五〇〇メートルの地点で三、二二〇ラド、一キロメートルの地点で一九二ラド程度、ガンマー線が爆心地点で一〇、九〇〇ラド、爆心地から五〇〇メートルの地点で二、八八七ラド、一キロメートルの地点で二六〇ラド程度であつて、しかも中性子線は、同一エネルギーのガンマー線に比べ二ないし三倍の割合で強烈に人体に影響を及ぼしたと推定されている関係上、放射線量は爆心地から約一キロメートルまでの地点では致命的であり、約二キロメートル離れた地点でも人体に重大な障害を与える程度のものであつたとされており、そのため放射能障害により死亡した者もおびただしく、生存被爆者に対しても被爆後まもない時期に急性症状を起こしたほか、永続的に様々の放射能障害を与えている。
(二) 広島に投下された原子爆弾による被害
<証拠>によると、次の事実が認められる。
(1) (医学的側面からみた被害)
原子爆弾の爆発によつて生じた爆風、熱線は、これを俗びた被爆者を相当数死亡させたほか、生存被爆者に対しても後遺障害を与えたが、とりわけ深刻なものは原子爆弾の放射線エネルギーによる放射能障害である。放射線は、直接人体の組織細胞を破壊し、また破壊しないまでも損傷したため、被爆者のうちには即死した者もあり即死を免がれた者も、急性症状として、嘔吐、下痢などの消化器症状、頭痛、頭重、不眠、目まいなどの神経症状、脱力、脱毛などの無力症状、吐血、血便、皮膚の溢血斑などの出血症状、発熱、口内炎、皮膚炎などの炎症症状、白血球減少や貧血などの血液症状、無精子症、月経異常などの性症状を呈し(これらは急性原爆症といわれている)、この急性放射能障害のために、ある者は二、三週間で死亡し、おおむね被爆後八週までの間におびただしい数の被爆者が死亡した。その時期を耐えた者は、次第に回復し始め、被爆四ケ月後頃には殆んどの者が一見健康であるかのようになつたが、その後も放射能を受けたために生じた細胞の変化が持続して何らかの機会に異常を起すため、放射能障害の大きな特徴としての晩発性障害が発生し、慢性的に白血病、再生不良性貧血などの造血臓器の疾患、胃、肝臓、肺臓、皮膚などの癌のような悪性腫瘍、その他肝障害、胃・十二指腸潰瘍、内分秘疾患、白内障、生植機能障害に悩まされる例が多く、いずれも放射能の影響のため治癒し難いといわれ、ほかに放射能障害として寿命の短縮などがみられるし、さらには遺伝的悪影響も懸念されている。
(2) (社会的側面からみた被害)
原子爆弾の爆発によつて、一般の空襲による場合とは比較にならない程に広大な市街地が一瞬のうちに破壊されたため、生き残つた被爆者の多くは、自己の家屋、財産、職業労働の場を失なつて、困窮し、また原子爆弾の被害により死亡した被爆者も多く、そのため大量の欠損家庭(孤老、孤児、母子家庭等)が作り出されたが、欠損家庭においては経済的支柱を失なつたことにより家族員の相互扶助が期待できないだけでなく、親族、地域住民も同様に被害を受けていることから、これら相互の扶助も期待できないため、貧困に陥つた例が少なくない。のみならず、原子爆弾による被爆者は一般空襲による被災者と違つておおむね放射能による永続的な身体障害を受けているため、労働能力に大なり小なり影響を受け、労働能力を失なつた者はもとより、労働能力を失なわないまでもその減退により就職に困難をきたし、職を得た後も休職、失業の繰返しを余儀なくされ、生活に深刻な苦しみを訴える者が少なくない。そしてこれら貧困化した被爆者は、生活の維持に没頭しなければならないため、十分な栄養と休養をとることもできず、身体障害の回復もままならず、貧困と障害の悪循環を重ねている。
(3) (本件訴訟にあらわれた若干の例)
例えば、昭和二〇年八月当時満二一才で、出勤途中広島市八丁堀付近を進行中の電車内で被爆した訴外高橋澄子は、被爆後、脱毛、三九度ないし四〇度の発熱、歯ぐきから出血、鼻血、下痢、嘔吐頭痛の症状が約三ケ月余り続き、これらの症状が治まつた後も、昭和二七年頃から視力が低下して眼底がうずくような痛みを覚え、肩が凝り、また昭和三六年頃には坐骨神経痛で約一ケ月入院し、昭和三七年には貧血で約一ケ月間入院したほか、子宮筋腫のため子宮を摘出し、昭和四五年には原爆白内障と診断され、昭和四八年から、同四九年にかけて肝障害で七ケ月入院した。同人は、老齢の母と自己の生活を支えるため十分な養生もできないまま働かざるを得ないが、再三転職を余儀なくされて経済的に苦しい状態にあり、将来の生活の不安におびえている。
また爆心地から約1.7キロメートル離れた広島市宝町付近で建物疎開の勤労奉仕中に屋外で被爆した訴外富永初子(当時三四才)は、被爆後、眼痛、脱毛、鼻血、高熱、歯ぐきからの出血、吐気、班点の出現などが昭和二一年三月頃まで続いたほか、その後も身体の衰弱が激しく、肺浸潤、肋膜を患い、心臓の悪化、肝臓の腫れ、貧血、原爆白内障に悩まされ、また自覚症状として全身の倦怠感があり、経済的には、同女が定職も得られないのに家族の生活を支えなければならなかつたため、病人の付添婦、雑用の手伝い、市の失業対策事業に従事するなどして働いてきたが、現在は生活保護を受けて暮している状態である。
次に、広島県立商業学校の教員をしていて、広島市皆実町一 目所在の同校校舎内で被爆した訴外寺地操(当時三九才)は、被爆後の急性症状としては歯ぐきからの出血程度で済んだが、昭和三〇年頃肺結核となつたほか、昭和四三年には原爆白内障と老人性白内障が発見された。
更に、被爆当時中学二年で爆心地から約1.4キロメートルの地点にあつた市立中学校校庭で被爆した訴外高橋昭博(当時一四才)は、被爆により後頭部、両手、両足、背中に火傷を負つたほか、意識不明の状態が続き、その間高熱、吐気の症状が出、その後も腹痛や気管支炎が頻発し、昭和三四年には急性肝炎となり、昭和四六年慢性肝炎と診断されて現在も治療中であり、日常的には非常に疲れやすい症状があるし、また同人は、昭和三六年に結婚したが、子供が生まれず、ホルモン注射を施して治療に当つた医師も被爆の影響を懸念し、高橋昭博本人も被爆の影響ではないかと危惧している。
しかして以上の認定を左右するに足る証拠はない。
(三) 原爆医療法制定の経過
<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
被爆者は、戦後戦争犠牲者の援護の問題が生じた際も、軍人、徴用工員、勤労動員学徒など一部を除き、大部分は救済のらち外に置かれ、広島についていえば、わずかに広島市と市の外科医師会が昭和二七年七、八月に被爆者の健康実態調査や無料診断を行なつたほか、昭和二八年一月には広島市長を会長とする広島市原爆対策協議会が設置され、県・市の出費、その他の寄付金を資金として被爆者の診断、治療を行なつたが、これも十分な資金の裏付けがなかつたことから、短期間で治療中止のやむなきに至る状態であり、そのため同年七月広島市長、市議会議長連署で、「原子爆弾による障害者に対する治療援助に関する請願」が行なわれたのを最初として、国費による健康診断、治療を確立する陣情が繰返された。そのうち、たまたま昭和二九年三月に行なわれたアメリカのいわゆるビキニ水爆実験により日本の第五福竜丸乗組員が被災したことが契機となつて、全国的に原水爆禁止運動が盛り上がり、その一環として被爆者に対する医療面、生活面を含む総体的な援護、とりわけ国家の負担による健康診断、治療を求める声が一段と高まり、これを受けて政府は昭和二九年秋から広島、長崎両市に原爆症調査研究委託費(当初は精密検査費のみ、後に研究治療費を追加)を交付するようになつた。しかし、この程度の措置では不十分であるとして、国家補償の見地からする被爆者援護、殊に被爆者に対する国費治療の立法化を求める要求がやまず、国会でも、昭和三一年一二月一二日開催の第二回国会衆議院本会議において、「昭和二〇年八月広島市及び長崎市に投ぜられた原子爆弾は、わが国医学史上かつて経験せざる特異の障害を残し、一〇年後の今日なお多数の要治療者を数えるほか、これによる死者も相継ぎ、障害者はきわめて不安定な生活を送つており、人道上の見地から考えて、まことに憂慮にたえないとともに国としてこれらの特異な被害者の治療等につき医学的見地から深い研究をすすめる要がある。よつて政府は、すみやかにこれらに対する必要な健康管理と医療とにつき、適切な措置を講じ、もつて障害者の治療について遺憾なきを期せられたい。」旨の「原爆障害者の治療に関する決議」がされた。このような背景のもとに、政府当局は、被爆者医療のため画期的な予算措置並びに立法措置を含む施策が必要であるとして法制化に努めた結果、昭和三二年三月原爆医療法の制定をみるに至つた。
二原爆医療法の性格
原爆医療法は、原子爆弾の被爆者が今なお置かれている健康上特別の状態にかんがみ、国が被爆者に対し健康診断及医療を行なうことにより、その健康の保持及び向上をはかることを目的とするもので(同法一条)、一定範囲の被爆者には、その申請により被爆者健康手帳を交付して毎年健康診断を行なう(三、四条)ほか、原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し又は疾病にかかり現に医療を要する状態にある(当該負傷又は原子爆弾の放射能に起因するものでないときは、その者の治癒能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を要する状態にある)被爆者に対しては、厚生大臣が原則として原子爆弾被爆者医療審議会の意見を聞いたうえ、当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の認定をして必要な医療の給付(診察。薬剤又は治療材料の支給。医学的処置、手術及びその他の治療並びに施術。病院又は診療所への収容。看護。移送。)を国の負担で行なう(七条、八条)ことを主たる内容とするものである。
しかして<証拠>によると、昭和三二年二月二二日開催の第二六回国会衆議院社会労働委員会において、厚生大臣は、原爆医療法の提案理由として、「昭和二〇年八月戦争末期に投ぜられた原子爆弾による被爆者は、今日なお多数の要医療者を数えるほか、一見健康と見える人においても突然発病し死亡する等その健康状態は今日においてもなお医師の綿密な観察指導を必要とする現状であり、しかもこれが当時予測もできなかつた原子爆弾に基つくものであることを考えると、国としても被爆者に対し適切な健康診断及び指導を行ない、また不幸発病した被爆者に対しては、国において医療を行ない、その健康の保持向上をはかることが緊急必要事であると考える。」旨説明しており、同年三月三一日開催の同国会参議院社会労働委員会でも政府委員が同様の説明を行なつていることが認められる。
ところで<証拠>によると、被爆者に対する手当等の支給を目的とした原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(以下、原爆特別措置法という)の提案審議がされた昭和四三年四月一二日開催の第五八回国会参議院において、厚生大臣は、同法は原爆医療法と同様に旧軍人軍属に対する措置法と異なり、生存被爆者の特別の事情に対して社会保障施策の一環として提案した旨述べていることが認められるから、立案当局者は、原爆医療法を国家補償法としてでなく社会保障法として立案したものということができる。
しかし原爆医療法をこれと同じく医療給付を内容とした他の通常の社会保障法、例えば国民健康保険法、生活保護法などと同一性格のものであるとすることには疑問がある。
原爆医療法が、他の通常の社会保障法と異なるのは、その対象が国民一般ではなく、原子爆弾による被爆者に限定されていることである。原爆医療法制定前においても、傷病一般については、被爆者は健康保険法などの各種医療保険法或いは生活保護法などによる医療給付を受けていたのであるが、一歩進んで戦争被災者のうちでも原子爆弾被爆者のみを対象とした特別法としての原爆医療法が制定されたことにつては、それなりの理由があつたものといわなければならない。
さきにも述べたとおり、原子爆弾により生じた爆風、熱線、放射能による強大な破壊作用は、広大な市街地を一瞬のうちに廃墟と化し、想像を絶する程大量の被害者を出したのであるが、原子爆弾の被爆者に特異なものは原子爆弾特有の放射能の影響により生存被爆者に対しても様々の晩発性障害による永続的な身体障害を残した点であり、そのことから被爆者は、一般戦争被災者と比較できない程に身体的、精神的、経済的、社会的に深刻な苦しみを経験している。被爆者の受けた身体的障害は、「わが国医学史上経験せざる特異な障害」(前記国会の決議参照)であり、「被爆者は、……一見健康とみえる人においても突然発病し、死亡する等その健康状態は、今日においてもなお医師の綿密な観察指導を要する状態」(前記原爆医療法の提案理由参照)であつて、そのため被爆者に対しては一般の医療給付立法のみでは十分に対処することができず、そのことが特別法としての原爆医療法制定の一つの理由になつたものと思われるのである。
しかも被爆者を不安な健康状態に陥れたのは、直接的にはアメリカ軍による原子爆弾の投下であるとはいえ、それは所詮わが国がその権限と責任において開始した戦争により招来されたものであり、被爆者個々人の責任によるものではない。したがつて、第四八回国会参議院社会労働委員会(昭和四〇年五月一七日開催)における政府委員の答弁にあるように、「被爆者を援護し、救済していくことは日本国政府の義務であり、その責任において行なうべきものと考える」(以上の政府委員の答弁は、<証拠>によつて認められる)。余地は十分あるものというべきである。
要するに原爆医療法は、原子爆弾被爆者の身体的被害の特異性、悲惨さ、しかもそれが個人に責任のない戦争によつて生じたものであるといつた事情から、特に被爆者みを対象として制定されたものといえるのであつて、そのことと同法制定までの経過、同法の内容等を考慮すると、原爆医療法は一面では戦争犠牲者としての被爆者救済を目的としたもので国家補償法としての側面を有するものということができる。
三原爆医療法八条一項の認定について
原爆医療法八条一項による認定の要件については、同項が「前条第一項の規定により医療の給付を受けようとする者はあらかじめ、当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生大臣の認定を受けなければならない。」と規定していることから、一見負傷又は疾病と原子爆弾の傷害作用との間に因果関係(以下、これを起因性という)があれば足りるのではないかと解される余地がないではないが、同法七条一項は、「厚生大臣は、原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し、又は疾病にかかり、現に医療を要する状態にある被爆者に対し、必要な医療の給付を行う。ただし、当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因するものではないときは、その者の治ゆ能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を要する状態にある場合に限る。」と規定し、医療給付の要件として起因性の存在ののほかに負傷又は疾病が現に医療を要する状態にあること(以下これを要医療性という)を要求しているところ、同法八条一項は同法七条一項をうけて規定したもので、同法八条一項の認定は医療給付の前提要件となるものであること、及び原爆医療法が国の責任と負担において被爆者に対し健康診断及び医療の給付を行なうことを目的とした法律であることからすれば、同法八条一項による認定の要件としては、起因性のみではなく要医療性の存在を要するもと解するのが相当である。
次に原爆医療法八条一項による認定は、認定を受けた被爆者に対し医療の給付という利益を享受させる処分であるから、認定の要件を充足することについては認定申請者は立証責任があるものというほかないが、しかし要件の充足の程度については、原子爆弾による障害、とりわけ放射能障害の特殊性及びこのことを考慮して制定された原爆医療法の立法目的、性格をふまえ、被爆者の負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因するものか否か、及びこれに対する治療法の存否についての現段階における医学の解明度や将来にわたる研究の必要性に配慮しながら慎重に判断されなければならない。
ところで原爆医療法制定当時被爆者の健康状態については、なお医師の綿密な観察指導を必要とする状態(同法の提案理由参照)であり、また厚生省公衆衛生局長が昭和三三年八月一三日付で発した「原子爆弾後障害症治療指針」が示すように、「原子爆弾の放射能の影響による白内障等の後障害に関しては、従来幾多の臨床及び病理学的その他の研究が重ねられた結果、その成因についても次第に明瞭となり、治療面でも改善が加えられつつあるが、今日いまだ決して十分とはいい難い。したがつて原子爆弾後障害症の範囲及びその適止な医療については今後の研究を持つべきものが少なくない。」状態であつたものと認められる(右治療指針の発せられた時期、内容は、<証拠>によつて認められる)。もつとも右治療指針は、昭和三三年当時における医学的研究の成果を基礎として示されたもので、その後原爆後障害症に関する医学的研究が進められていることは弁論の全趣旨によつてこれを認めることができる。しかし放射線の後影響について長期間調査研究を行なうことを目的として創設された米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)とわが国の国立予防衛生研究所の共同研究をまとめた「予研―ABCC共同研究二〇年の歩み」(昭和四一年一一月発行)には、原子爆弾による放射線が人体に与えた医学的影響については、未だ十分な解明がされておらず、幅広く長期にわたつて調査研究することが必要であり、水晶体の混濁についていえば広島と長崎とにおいて同じ被爆者の水晶体の症状を同じ検者によつて繰返し観察して報告すれば貴重な世界的文献となるであろう、との趣旨が記載されていることからすれば(以上の事実は<証拠>によつて認められる)、原子爆弾による放射能の人体に与える影響についてはまだ十分な解明がされていないものと認められる。しかも右共同研究が発表されて約一〇年後の現在においても、原子爆弾の放射能による後障害の範囲及びこれに対する適切な治療方法については、医学的研究により順次解明されつつあるとはいえ、なお未解明の点が少なくなく、将来の研究に期するところ大であることが、<証拠>によつてうかがわれる。
したがつて認定の要件の充足度については、必らずしも医学界の通説に拘泥することなく、起因性についていえば、認定の対象となる負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の医師の診断があり、その診断が医学的にみて首肯し得ないものでない限り、起因性があるものとすべきであるし、また要医療性についていえば、放射能傷害を有する被爆者に対しては、症状の推移を見守る意味においても医師による長期の観察が必要であり、治療方法についても研究の余地が残されていることのほかに前記「原子爆弾後障害症治療指針」が治療上の一般的注意として指摘しているように、「原子爆弾被爆者の中には、自身の健康に関し絶えず不安を抱き神経症状を現わすものも少なくないので、心理的面を加味して治療を行なう必要がある場合もある」こと(「原子爆弾後障害症治療指針」の内容については、<証拠>によつて認められる)を考慮すると、医学的にみて何らかの医療効果を期待し得る可能性を否定できないような医療が存する限り、要医療性を肯定すべきである。起因性の認められる被爆者に対しては、効果の期待し得る可能性を否定できない治療を施しながら研究を重ねる態度が望まれるのであつて、その態度こそあらゆる可能性を求めて治療に努めるべき医の倫理にかなうものというべきである。
なほ<証拠>によると、原爆医療法の制定に関連して、昭和三二年三月二五日開催の第二六回国会衆議院社会労働委員会においては、「政府は、同法二条の被爆者の範囲に関する政令の制定に当つては現実の要治療者を逸しないよう配慮すべきである。」旨の附帯決議がされたことが認められるが、同法の立法目的からいつて同様のことは同法八条一項の認定についてもいえるのであつて、認定の要件を充たす者を認定から逸することのないよう配慮すべきであり、また認定は適正均等にされるべく、同一症状であつて一部は認定され、一部は却下されるというような取扱いは厳に慎しむべきである。ところで<証拠>によると、原爆医療法に基づく指定医療機関である福島病院が昭和四三年四月から同四四年一二月までの間貧血症患者について同法八条一項に基づく認定申請をしたところ、認定を受けた者九名、却下された者五名であつたが、これら一四名については赤血球、白血球など数種の検査の結果では有意の差異が認められず、主治医の立場からみて症状の重いと診断された者が却下され、比較的軽い症状の者が認定された例があつたことが認められる。また<証拠>を総合すると、長崎においては視力が裸眼で右0.5左0.7、矯正視力が右0.8、左0.9で原告より視力のよい中等症型両眼原爆白内障の被爆者が原爆白内障により原爆医療法八条による認定を受けている事例のあること、及び杉本茂憲医師が原告と同様治療に当つている訴外竹田初技(被爆時一五才)は、原爆白内障としては同医師の所見として原告と同程度の形状で、差異を認め難かつたのに原爆白内障により昭和三六年原爆医療法八条一項による認定を受けていることが認められる。もつともこれらの事実があるからといつて、医学的検査結果のすべてが明らかでない以上、必らずしも認定被爆者の症状が非認定被爆者の症状と同程度ないし軽症であつたと軽々に断定することはできないかも知れないが、もし認定申請を却下された被爆者の症状が認定被爆者と同等ないし重症であるとすれば、証人田阪正利、同杉本茂憲が証言しているように認定が不均衡であるとして医師と被爆者間、或いは被爆者相互間に不信感が醸成されていくことにもなるから、医師或いは被爆者からみて公正さを疑われるような取扱いは避けなければならない。
第三本件下処分の適否
一原告の原爆白内障に関する起因性
まず、原告の両眼に原爆白内障(原爆放射能に原因する水晶体混濁)が存することは当事間に争いがないところであるから、原告の原爆白内障は、原子爆弾の傷害作用に起因するものということができる。
二原告の原爆白内障に関する要医療性
原告は、原告の原爆白内障は現に薬物治療を継続中であり、医療を要するのに対し、被告は、原告の原爆白内障が既に進行を停止していること及び原告の視力の程度からすれば、現在の段階では原告の原爆白内障に対しては施すべき医療がない旨主張しているので、以下原告の原爆白内障に対する要医療性の存否について検討する。
(一) 原爆白内障の発症、経過及び手術についての諸医家の見解
(1) <証拠>によると、次の事実が認められる。
(イ) (原爆白内障の発症時期)
原爆白内障の発現時期については、被爆直後から患者を継続的に観察した者が存しないため、明確に断定することは困難であるとされているが、医家のうちには、被爆後一〇ケ月で視力障害を自覚し、白内障と診断されたのは被爆後二年四ケ月である患者症例を発表した者、家兎に対するX線白内障の実験結果から原爆白内障は被爆後一〇ケ月ないしそれ以前に発現するものと推定できるとする者があるほか、原爆白内障は被爆第五ケ月始め頃から数年の間に発現するとする者や放射能性白内障の潜伏期は九ケ月半から八年に及ぶとする者などがある(長崎大学医学部眼科学教室助教授徳永次彦「原爆白内障の潜伏期について」広島医学一九六二年九月号、久留米大学眼科増田義哉「広島に於ける原爆白内障の臨床的研究補遺」日本眼科学会雑誌七〇巻九号(昭和四一年))。
(ロ) (原爆白内障の経過)
原爆白内障が進行するものであるか否かについては、原爆白内障患者三〇例を昭和三四年より昭和四四年までの間に二年以上にわたつて観察した結果、原爆白内障の混濁が進行した例がなかつたとして、原爆白内障は昭和三四年頃までに完成し、その後は進行しなくなるものと思われるとする論者(広島赤十字病院眼科医藤永豊「原爆白内障症例の一〇年間の推移について」日本眼科紀要二一巻三号(昭和四五年))等原爆白内障の進行性を否定する見解もあるが、他方原爆白内障はおおむね非進行性であるが稀には進行するものもある旨の臨床例も発表されている。例えば広島大学医学部眼科学教室の百々次夫、戸田慎太郎の両氏は、昭和三八年に高度原爆白内障(後極部にかなり類円形の陰影を認めるもの)の水晶体混濁が長期にわたつて進行を呈したとみられる症例三例を発表し(百々次夫、戸田慎太郎「原子爆弾による視器の後障害」原子医学別冊一九六三年三月号)、前記増田義哉氏は、昭和三七年に経過年数一年半ないし九年の原爆白内障二八症例中、七例が視力、混濁ともに進行した旨を発表している(同氏、前掲「広島に於ける原爆白内障の臨床的研究補遺」)。また前記徳永次彦氏は、昭和二八年七月から昭和三一年一二月にかけて長崎における被爆者一、六〇〇名を眼科学的に精査した結果として、原爆放射能による白内障はおおむね非進行性であつたが例外的に明らかに混濁が増加して手術した例もあることを明らかにし、更に右調査対象例のうち被爆距離一、八〇〇メートル以内の一五〇例を昭和四一、二年に軽症型、中等症型、重症型に分類して再調査したところ、重症原爆白内障のうち一例には視力の増悪、水晶体混濁の明白な進行があつたことを発表している(同氏「長崎に於ける原子爆弾による白内障」日本眼科学会雑誌六三巻五号(昭和三四年)、同「長崎における原爆白内障の遠隔調査成績」日本眼科学会雑誌七二巻九号(昭和四三年))。さらに杉本茂憲医師は、爆心地からの被爆距離約七五〇メートルの所で被爆した広島の患者(被爆時一五才の女性)の原爆白内障による水晶体混濁について、昭和三〇年の検診結果に比べ昭和三六年の段階で水晶体後極部の特有な混濁が幾分進んでいるような所見があつたと発表している(同氏「原爆白内障の臨床所見の推移と被爆放射能線量について」臨床眼科二五巻四号(昭和四六年))。そして医学者、臨床医家の多くは、原爆白内障患者を長期にわたつて観察した例が少ないことから今後の研究に待つ所が大きいとしている。
(ハ) (手術)
手術療法については、原爆白内障が進行し、または他の要因によつて水晶体の混濁増加、視力の著しい低下を来たし、患者の社会活動、日常生活に支障が生ずるようになれば、最終的には手術療法によつて水晶体を摘出する以外に方法がないとされ、この点は諸医家の一致した見解である。そして一般には、視力0.1を標準としてそれ以下になつた場合に手術が行なわれている。手術後の経過は、おおむね良好であるが、中には手術後の経過が良好でない例もあり、また手術が成功したにしても通例高度の遠視となるほか、眼の調節力が失なわれ、見る距離に応じた眼鏡ないしコンタクトレンズの装用を必要とし極めて繁雑であるとされている。
以上の事実が認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。
(2) 以上の事実によると、原爆白内障は、被爆後数ケ月ないし八年程度を経て発生し、その後の経過としては、現在のところ明確でなく将来の医学的研究を待つほかないが、おおむね非進行性で稀には進行するものがあり、特に重症原爆白内障にあつては、水晶体の混濁増加、視力低下を来たす例があるということができ、また原爆白内障の混濁増加、視力の著しい低下があれば、手術療法以外になく、手術は通常視力0.1以下になつた場合に行なわれるべきものであるということができる。
(二) 原告の原爆白内障の発症、経過及び手術の可否
(1) 原告の視力は、被爆前裸眼で左右とも1.0以上、昭和三八年から昭和四二年まで裸眼で左右とも0.8、昭和四三年、四四年当時裸眼で左右とも0.7で、その段階まではさしたる支障を感じなかつたが、昭和四四、四五年頃から視力の衰えを自覚し、昭和四五年八月土谷眼科医院(土谷厳郎医師)で診察を受け、初めて原爆白内障と診断されたこと、その後の視力は、昭和四六年二月当時裸眼で左右とも0.5(矯正視力左右とも0.7)、昭和四六、四七年当時裸眼で左右とも0.3(矯正視力右0.5、左0.6)であつたこと、及び原告が昭和四五年八月以降前記土谷眼科院でカタリン点眼などの治療を、昭和四六年一二月頃以降杉本病院(杉本茂憲医師)で点眼、注射などの薬物治療を受けていることは、いずれも前記第一の二において認定したとおりである。
次に<証拠>によると、原告の原爆白内障の程度は、前記長崎大学助教授徳永次彦氏の分類によると、重症ないし中等症型であつて、原告については原爆白内障がなければさほど視力障害はないと診断されること、原告の視力は、杉本病院で治療を開始した初期に比し現在では少しよくなつており、原告の原爆白内障は進行していないことがそれぞれ認められ、この認定に反する<証拠>は採用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
(2) 右事実によると、原告の原爆白内障は、昭和四五年八月に初めて発見されたもので、発現の時期は明らかでないが、少なくとも昭和四六年一二月頃以降は進行していないものということができる。もつとも原告の場合留意しなければならないのは、原告が昭和四五年八月以降点眼・注射などの薬物治療を受けている点であつて、もし薬物治療を施さず自然の経過に委ねた場合になお進行しないものであるか否かについては、前記(一)の説示に照らすと進行しないものと断定することはできず、むしろ原告の症状からすると進行する可能性を否定することができない。また原告の視力は、裸眼で左右とも0.3(矯正視力右0.5、左0.6)であるから、前記(一)において説示したところからすると、原告の原爆白内障は、未だ手術療法を施すに適していないものということができる。
(三) 原爆白内障に対する薬物治療の可否についての諸医家の見解等
原爆白内障が進行した場合、最終的には手術療法によつて水晶体を摘出するほかないが、手術後の経過が良好でない例があつたり、手術が成功しても、眼の調節力が失なわれるなどするのであるから、手術を要する事態に立至らせないこと、つまり、原爆白内障の進行を抑制し、または軽快化させることが可能であれば、この上ないことであつて、もしそのことを可能とするものがあるとすれば薬物治療のほかにない。
そこで原爆白内障に対する薬物治療の可否について検討する。
(1) <証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
(イ) (否定的見解)
原爆白内障の薬物治療に触れた見解は多くはないが、そのうちでは、前記百々次夫氏外一名が、高度原爆白内障の場合の社会活動、日常生活に支障があれば、手術療法を行ない、中等度以下の原爆白内障については、一般に非進行性であることを前提として治療を行なわず、定期的に診察監視することで足りる旨発表している(同氏ら、前掲「原子爆弾による視器の後障害」)等原爆白内障に対する薬物治療については、これを否定する見解が多い。しかし原爆白内障に対し長期間薬物治療を施してその経過を観察した臨床例は見当らない。
(ロ) (肯定的見解)
前記増田義哉氏は、軽症例では眼局所的にもカタリン、グルタチオンなど薬物の使用によりある程度の効果が期待されるが、もつともそれは初期のことで白内障が進行した場合手術以外に方法がない旨発表している(同氏、前掲「広島に於ける原爆白内障の臨床的研究補遺」)。また実験症例として、日本医科大学眼科学教室小口昌美氏外五名は、幼若ラツトに対し実験的にX線白内障を起こしたところ、あらかじめGSH(グルタチオン還元剤)を投与した群においては、水晶体混濁の発現の遅延が認められたと発表している(同氏ら「水晶体の螢光、グルタチオンの新検出法、眼球のグルタチオンの分布、水晶体の栄養経路とチン氏帯、水晶体の系統発生、白内障の病理及び白内障の薬物療法について」日本眼科雑誌七七巻三号(昭和四八年))。さらに原告の主治医である杉本茂憲医師は、爆心地からの被爆距離約七五〇メートルの地点で被爆した前記女性患者(被爆時一五才)の観察経過として、同女は昭和三六年の段階では昭和三〇年の検診結果に比べて水晶体後極部の特有な混濁が幾分進んでいるような所見を呈していたが、昭和四五年の検診では放射能障害を起こした水晶体後極部上皮及び繊維細胞の機能が次第に回復してきて後嚢下にあつた凝塊岩様及び点状混濁は減小して後退萎縮し境界鮮明になつたこと及びこの患者に対しては二〇数年来点眼治療を続けてきたことから薬物治療の効果を否定できない旨発表している(同医師前掲「原爆白内障の臨床所見の推移と被爆放射線量について」、同医師「原爆症認定と眼―特に認定訴訟に関連して―」日本の眼科四六巻六号(昭和五〇年)ほか)。
なお原爆白内障に限定しての見解ではないが、白内障一般についてカタリン、グルタチオン、パロチン、ビタミンCなどによる薬物治療が白内障の進行を防止する効果のあることを肯定する見解も存する。
(2) 以上のとおり原爆白内障に限定して薬物治療に触れた医家の見解は多くはないが、そのうちでは薬物治療の効果を否定する者が多く、反対に薬物投与の効果を肯定する者も軽症で初期の場合とか予防的効果に限られ、一般的に薬物治療の効果を否定できないとする者は、本件訴訟に現われた限りにおいては杉本医師のみである。しかし原爆白内障に対し薬物治療を施して長期間観察した臨床例は他にないのであるから、たとえ少数の意見であつても、それが傾聴すべきものであれば、これを一概に排斥することはできない。
ところで<証拠>によると、杉本茂憲医師は、京大医学部講師を経て昭和一三年から眼科医院を開業し、昭和二〇年九月から現在に至るまで被爆者の治療を行なつており、昭和三二年からは原爆医療法に基づく指定医療機関(指定医療機関は、負傷又は疾病の特殊性からして設備が優秀であり、かつその治療に十分な知識経験を有するものから指定されることになつている。)としての業務に従事し、指定医療機関としての責任と義務と信念に基づいて治療に当り、年間延べ数千人に及ぶ被爆者を診察治療しているほか、原爆による眼障害に関しても四〇数編に及ぶ論文を発表し、これらの功績に対し、日本医師会の最高優功賞を初めとする数々の賞を授与されていることが認められるのであつて、前記見解がこのような同医師の豊富な知識、経験及び研究心を基礎としたもので、しかも臨床例をふまえての見解であつてみれば、その見解によつて薬物治療を試みることをもつてあやまりであるとすることはできないであろう。
(四) 原告の原爆白内障に対する薬物治療の可否
原告の原爆白内障については、前述のとおり自然の経過に委ねた場合それが進行する可能性を否定できないのであるし、他方白内障一般について薬物治療が白内障の進行を防止する効果のあることを肯定する見解もあるのであるから、原告の原爆白内障に対する薬物治療の必要性は否定できないし、また原告の原爆白内障が非進行性のものであるとしても、杉本医師の臨床例に基づく前記見解によれば薬物治療の効果を期待し可能性を否定することはできないのであるから、薬物治療が施されるべきである。
しかも<証拠>によると、原告は、主として両眼に存する原爆白内障によつて眼精疲労、視力障害を来たしているのであるが、カタリンン、タチオンの点眼、グルタチオンの注射、ビタミンの投与などの薬物治療を受けていることによつて眼精疲労が薄らぎ、無理に見ようとするため生じていた頭痛もなくなり、矯正視力も0.7、時には0.8と従前より上昇し、裸眼でもじつくり見れば0.6位まで見えるようになり新聞などの活字も読める程度になつていることが認められるのであるから、この経過からしても薬物治療は引続いて行なわれるべきである。
したがつて原告の両眼に存する原爆白内障については要医療性を肯定すべきであつて、すなわち現に医療を要する状態にあるものというべきである。
三原告の原爆白内障と原爆医療法八条一項の認定
前記一及び二において述べたところからすると、原告の両眼に存する原爆白内障は、原子爆弾の傷害作用に起因したものであり、かつ現に医療を要する状態にあるものということができるから、これに対しては原爆医療法八条一項に基づく認定がされるべきあり、したがつて本件却下処分は違法として取消を免がれない。
四原告の老人性白内障と原爆医療法八条一項の認定
右のとおり、被告のした本件却下処分は違法として取消されるべきものであるから、原告の両眼に存する老人性白内障が原爆医療法八条一項の認定の対象となるか否かの判断に及ぶまでもないのであるが、一通り検討する。
(一) 起因性
(1) まず<証拠>によると、被爆者について、一般的に原子爆弾の放射能の影響による加齢現象の促進があるか否かについては、これを肯定する確かな調査結果はないが、放射線で身体を部分照射した場合、照射部位に自然の老化現象に以た変化が起こるといわれており、原子爆弾の後障害の研究に従事している医学者、臨床医家の多くは、加齢現象の促進がないとは断定し得ないとの見地から、なお今後の調査研究に待つべきであるとしていること(中泉正徳東大名誉教授「被爆研究の総論」第七回原子爆弾後障害研究会講演集(昭和四〇年)、前掲「予研―ABCC共同研究二〇年の歩み」ほか)、そして眼に対する影響に関しては、原爆白内障患者のうち若年被爆者の中に初発老人性白内障を併発していた症例があつたことから、被爆が老人性白内障の発生年齢を早め、あるいは老人性白内障の進行を促進する可能性は考慮されると指摘する者(藤永豊、前掲「原爆白内障症例の一〇年間の推移について」)や、爆心地からの被爆距離約七五〇メートルの同一電車内で被爆した四名の被爆者(被爆時の年齢一五才、一七才(原告)、二一才、三七才。)が、いずれも原爆白内障に初発老人性白内障を併発していたこと及び被爆時若年であつた者ほど初発老人性白内障の水晶体混濁(赤道部より起つている楔状ないし冠状型の混濁)が著名であつたことから、若年で強度の放射能の影響を取けた被爆者は加齢現象が促進されるのではあるまいかとの推論を提示している者もあること(杉本茂憲医師「原爆直爆者の水晶体溷濁の意義―特に眼と加令について―」広島医学二六巻六号(昭和四八年)同「原爆近距離直爆者の水晶体混濁の意義、特に加齢現象と暦年令に関連しての追補」第一回原子爆弾後障害研究会講演集別冊(昭和五〇年)ほか)が、それぞれ認められる。
しかし<証拠>によれば、老人性白内障は若年者においても発現するものであることが認められる。
(2) してみると、前記藤永氏や杉本医師のような見解が存するからといつて、若年被爆者に現われた老人性白内障が原子爆弾の影響による加齢現象性のものであると断定することはできないが、しかし、<証拠>によると、一般には五〇才以下で老人性白内障が発現した割合は僅かであることがうかがえるのに対し(昭和一五、一七、一八年の名大眼科外来患者のうち白内障であつた者の比率は、四一才から四五才までで約3.1パーセント四六才から五〇才までで約6.3パーセント)、前記杉本医師の臨床例によると、被爆時一五才ないし二一才(したがつて前記杉本医師の論文「原爆直爆者の水晶体溷濁の意義―特に眼と加齢について―」が発表された昭和四八年当時では、四〇才台)の被爆者三名の悉くが初発老人性白内障を併発しているし、そのことと原子爆弾の放射能障害についてはなお未解明の分野が多く、今後の研究に待つべき所が大きいことからすれば、臨床医家が臨床例に基づいて専門雑誌に研究の成果を発表している以上、原爆医療法の立法趣旨からして、その解釈運用上臨床医家の研究成果にそう取扱いがされてよいであろう。
(3) ところで原告は、杉本茂憲医師から原告の両眼にある老人性白内障は原爆放射能の影響と思われる加齢現象性のものと診断を受けているし、原告が被爆時若年(一七才)で爆心地から約七五〇メートルの地点において被爆し、そのことから相当量の放射線を浴びたであろうと推測される点からすれば、前記医家の見解からして原告の老人性白内障を原子爆弾の放射能の影響による加齢現象性のものとみることが医学的に首肯し得ないわけではないから、原告の老人性白内障については起因性を肯定して妨げないであろう。
(二) 要医療性
<証拠>によると、老人性白内障は、まず水晶体周辺部から混濁が生じるのであつて、その初期の段階を初発性老人白内障といい、それが進行して老人性未熟白内障となり、最終的には水晶体が全面的に混濁して、いわゆる成熟老人性白内障となり、この段階では手術療法のほか治療方法がないこと、及び原告の場合初発老人性白内障であることが認められるところ、<証拠>によれば、パロチン、カタリン、グルタチオンなどによる薬物治療が老人性白内障など白内障による水晶体の混濁増加や視力低下の防止につきある程度の効果を有すること及び現にこれらの薬品は、医療品として製造が許可されていることが認められるから原告の両眼に存する初発性老人白内障については要医療性があるものということができる。
してみると、原告の初発性老人性白内障についても、これを原爆医療法八条一項による認定の対象として妨げないものといえよう。
第四終りに
被爆者は、自己の責任によらずして原子爆弾の投下による被害という人類史上初の不幸な体験を余議なくされたものであり、被爆時の悲惨さはいうに及ばず、戦後三〇年間を生き抜いてきた中においても幾多の辛酸を嘗め、今日においても多くの被爆者が身体的、精神的に、また経済生活、社会生活の面において、なお悲惨かつ不安な境遇にあるであろうことは優に推測し得るところである。
わが国は、現行憲法のもとに政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意して、国際紛争の解決の手段としての戦争、武力による威嚇又は武力の行使を永久に放棄し、平和主義の理念に徹したのであるが、これも原子爆弾による被爆等多大の戦争犠牲者を招来した過去の忌わしい戦争に対する真摯な反省からであつてみれば、わが国にとつて戦争犠牲者、とりわけ被爆者に対する援護措置は回避し得ない問題であり、被爆者の実態に即した対策をとるべきことはいうまでもない。
ところで被爆者に対する法律としては、健康管理、医療面についての原爆医療法があるほか、原爆特別措置法があり、同法では一定の制限下に特別手当、健康管理手当、医療手当などを支給することを定めているが、なおその対象範囲、及び額において十分な施策が講じられているとはいい難い。
被爆者が老齢化の一途をたどり、今後の生活における不安が懸念される現在、国においても被爆者の置かれている実態を把握し、対策の改善に努めることが要請されるとともに、原爆医療法、原爆特別措置法の運用をはじめとする被爆者行政にあたつても、かかる被爆者の立場を十分に理解し、適切な指導、措置を講ずるよう配慮することが望まれる。
第五結論
以上の説示によると、被告のなした本件却下処分の取消を求める原告の本訴請求は理由があるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(森川憲明 谷岡武教 山口幸雄)